〜北冠校区の昔〜
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 高槻市は、大阪府の北方北摂(ほくせつ)地域にあり、京と大坂を結ぶ中間に位置し、昔から淀川や西国街道(さいごくかいどう)などの交通の要衝(ようしょう〜だいじな所)として、早くから開けていました。
 北大冠小学校校区も、南を東海道新幹線(しんかんせん)、北を阪急(はんきゅう)電鉄京都線にかこまれ、あいだを国道171号線が通っています。
 中央右の茶色が第六中学校、その上(北の方)茶色が北大冠小学校です。ななめの直線が東海道新幹線、右側の曲がりくねっているのが桧尾(ひお)川です。
  
 北大冠小学校校区の北に、阪急電車をさかいにして、京都大学 農学部の農場が広がっています。
 この農場の土の下には、今から2200年ほど前、北摂三島地方でもっとも早く米作りを始めた村の遺跡(いせき)=安満(あま)遺跡が眠(ねむ)っています。そのころからずっと人が住みつき、淀川の流れを利用して、近畿(きんき)地方や瀬戸内海(せとないかい)沿岸の地域との行き来があったといわれます。
 遠くに見える安満山の中ほどに、青龍(せいりゅう)三年(235年)銘(めい)をもつ方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)が出土(しゅつど)した、安満宮山(あまみややま)遺跡があります。
 
   
東天川 春日神社 野田 春日神社
 安満遺跡の村々は、平安〜室町時代(1200〜500年前)には、朝廷(ちょうてい)で勢いのあった藤原氏(ふじわらし)の荘園(しょうえん=貴族(きぞく)や寺社が所有した土地)として、奈良春日社領(かすがしゃりょう)にふくまれ、安満荘となります。
 このころ、「安満河」(現在の東天川(ひがしあまかわ)、野田(のだ))の地名が、史料にあらわれます。また1580年ごろの高山右近(たかやまうこん)の検地帳(けんちちょう)には、「東天川」「野田」や「くるすやしき」なる地名もでてきます。
 野田と東天川の春日神社は、どちらも産土神(うぶがみ)ですが、藤原氏の荘園のなごりかもしれません。どちらの神社にも、高槻ではめずらしい山車(だんじり)が、奉納(ほうのう)されています。 
   
      野田 正覚寺(しょうかくじ)
 4・500年前からの由来(ゆらい)を持つ校区のお寺です。
        
児童が描いた正覚寺さんです。
 
 
 
 
 
            
野田樋(ひ)〜上は桧尾川堤防 野田水路の水門
 江戸時代、桧尾(ひお)川の東側、五領(ごりょう)小校区の村々では、淀川と桧尾川の天井(てんじょう)川に囲まれ、なかなか田の水を落とすことができませんでした。そこで、1793年桧尾川の下を伏越(ふしこ)して、野田樋(ひ=水門)がつくられ、高槻を横ぎって、芥川(あくたがわ)の東を流れる新川(しんかわ)へつながれ、南の番田(ばんだ)から淀川に排水(はいすい)されました。それから200年間、何度かの修理をしながらも、じゅうぶんにその役割をはたしています。