昔、原では寒天づくりがさかんでした。
 原の田んぼの中に今も残る寒天を作るための小屋です。現在は寒天作りはもう行われていません。
 寒天作りは原の重要な産業で、かつて大正から昭和にかけて20件もの農家が寒天作りをおこなっていました。
 宮田半平がこの地に寒天作りを広めたといわれています。服部の聞力寺には、半平の碑が残っています。
海草のテングサを大きな釜で煮て、ところてんをつくり、それを冬場、田んぼに広げられたすのこの上で、乾燥させる風景画がいたるところで見られたそうです。大変な重労働で丹波から出稼ぎに来た人々がこの仕事に従事していました。